心にもあらで うき世にながらへば

恋しかるべき 夜半の月かな

恋におちたシェイクスピア@京都劇場

恋におちたシェイクスピア

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この夏に始まった四季の新しい演目です。

ミュージカルではなくストリートプレイなので他の四季作品とは少し趣向が違う。

 

エリザベス朝の時代。
上流階級の貴族たちが演劇を観る芝居文化が花開いていた。

当時ロンドン北部にあった「カーテン座」劇場は、ナンバーワンの人気役者バーベッジが出演し、大盛況。
一方、ヘンズロウがテムズ河対岸に建てた「ローズ座」は、資金難で苦境に立たされていた。

ヘンズロウは、作家ウィル(シェイクスピア)の次の新作を収入のあてにしていた。
しかし、肝心のウィルはスランプの真っ只中で、まだ台本も完成していないのに出演者オーディションが始まってしまう。

そこにトマス・ケントと名乗る青年がやってくる。
実はケントは、資産家レセップス卿の娘、ヴァイオラの男装した姿。女性が舞台に立つことは公序良俗違反にあたるとされていた時代だった。
演劇を心から愛するヴァイオラは、モノローグを完璧に演じて見せ、ウィルはその才能に惚れ込む。
ケントを追ってレセップス卿の館まで来たウィル。ヴァイオラは本来の女性の姿に戻っていた。そうとは知らないウィルは、一目で恋におち、館のバルコニーの下から愛の言葉を投げかける。

ケントがヴァイオラの仮の姿だとは気付かぬまま、ウィルは新作の稽古を開始。
主役ロミオを演じるのは、ケント。ヴァイオラと出会ってから、筆が進み、稽古にも熱が入った。

しかしヴァイオラはまもなく、親が決めた相手であるウェセックス卿と結婚しなくてはならなかった。別れの手紙を受け取ったウィルは、ふとしたきっかけからケントがヴァイオラであることを知る。
燃え上がる二人。その後も人目を忍んで愛を育み、やがて二人の恋のかたちが『ロミオとジュリエット』のストーリーを創り上げていった。

しかし、稽古が終盤シーンまで来たある日、ケントが女性であることが発覚してしまう……。

 

引用元:ストーリー|『恋におちたシェイクスピア』作品紹介|劇団四季

 

観劇場所は2階最前列。

シェイクスピアについての知識ゼロで観たので見当違いのことを感想として言うかもしれない。シェイクスピアの詩集持ってるんだけど全く読んでないしね。

 

この劇見てまず、当時女性が舞台に立つことが公序良俗違反で禁止されていた、っていうのが初耳だった。へえ~。歌舞伎みたいな発想なんですかね。
だからロミオとジュリエットも男性同士で上演されていたっていうのが驚き。男性同士というか大人の男性俳優と声変わり前の少年俳優だそうです。

 

今回のメインモチーフになっているソネット集18番の詩、原詩は著作権切れてるだろうから手持ちの詩集から引用してもいいかな。

Shall I compare thee to a summer’s day?
Thou art more lovely and more temperate:
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer’s lease hath all too short a date;
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimmed,
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature’s changing course untrimmed:
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow’ st,
Nor shall Death brag thou wand’ rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow’ st.
 So long as men can breathe or eyes can see,
 So long lives this, and this gives life to thee.

 

柴田稔彦(編)(2004).「対訳 シェイクスピア詩集 ――イギリス詩人選(1)――」, 岩波書店, 22

観終わってからパンフレット読んで知ったことなんだけど、この熱烈な愛の言葉をささげられてる「君」は男性らしいですよ……この劇中ではヒロイン宛てだけど。

 

 それはさておき。
ストリートプレイ久しぶりに見た気がするので、ちょっと新鮮だった。
今回2階席だったのもあり、ステージ全体が見やすくてよかった。


ずっと出っ放しの大道具、グローブ座とか当時の円型劇場の一部を模したようなバルコニーみたいなやつ。語彙力がなくて説明できないのが口惜しい。それが両脇にあって、場面によって両端が繋がったりもう一つのバルコニー状の大道具を介して舞台になったり、寝室になったり、楽しい。観劇してるときわりと舞台装置見ちゃう。
今回のは特に劇中劇がある関係で、劇中劇と劇本編との使い分け?区別?に舞台装置がわかりやすく使われてた感じする。冒頭に貼った動画見てもらったらどんな装置のことを言ってるのかわかってもらえるはず……
この舞台装置とかパンフレット中のグローブ座についての記述読んでて、前に大学図書館でこの時代の大衆劇場の構造についての本をちらっと読んだの思い出した。*1

 

感想をひねり出すのが苦手で中身がない覚書きなんだけど、伏線回収が素晴らしくて最高だった。
当時流行っていた喜劇のセオリーが、『喜劇役者の即興芸に、犬や猿を使ったドタバタ芸、締めの一品が「ジグ」』(「恋におちたシェイクスピア」パンフレットより)で、作中でもウィルが雇い主の劇場オーナーであるヘンズロウに「海賊を出して、犬を出して最後はジグをいれろ」といった趣旨のことを言われていた。


で、でよ。
作品最後のカーテンコール直前あたりに、ジグの演出があったんだなあ。
ジグって手拍子に沿ってだんだん早くなるアイリッシュダンスのことなんだけど(私の認識では)、最後観客の手拍子に沿ってキャストが2列になってダンスしてそれが少しずつスピードアップする、っていうのがあったんよね。
ジグ、というかアイリッシュダンスは随所随所であったけど作品の最後に当時のセオリーとされていたものを持ってくるっていい演出だなあって思った。私は好き。
でもこれの原作にあたるであろう、映画は未視聴だし、イギリス文化史的なものに明るいわけでもないので見当違いなことを言ってるかもしれない。

 

 おもしろかったなあ。

なんか四季で前見た作品がノートルダムの鐘、オペラ座の怪人だったこともあり、久しぶりに何も考えずに見れる作品だった。何も考えずに、っていうのは咀嚼しなくても内容が頭に入ってくるくらいの意味です。

 

あー、あとウィルがロミオとジュリエットの続きを床に座って書いてるシーンで、ウィルのバックに他の登場人物がぞろぞろ出てくるシーン、モーツァルト!のフィナーレみたいな構図だなって思った。思っただけで、関連は別にないと思う。

そういえばこのところ歴史上に存在する人物モチーフの作品が続いたな。稲垣さんのベートーヴェンも観たかったけどチケットスケジュールとお財布事情が合いませんでした残念。